私の離婚 Gさんの場合

私は現在33歳。趣味は旅行と食べ歩き。そんな私は24歳の時に一度結婚しました。

専門学校を卒業し就職して3年、それまでずっと両親と弟と実家で暮らしていました。

早く実家を出たかった私は、1年間の同棲生活を経て結婚しました。そして、27歳で離婚。夫は私の4歳上で、建築会社の社員をしていて毎日忙しい人でした。

食の不一致と旅行の衝突が導いた夫婦の結末

夫と出会ったのは23歳でした。出会いは当時ではまだ珍しいマッチングアプリでした。そして付き合って2か月で私たちは同棲生活を始めました。

初めての同棲生活はとても楽しく、それまでは実家暮らしで親のペースで生きてきたのが、初めて自分のテリトリーができた気持ちでした。

料理はもちろん初心者だったので、ハンバーグや生姜焼きなど比較的難易度の低い当たり障りのない料理ばかり作っていました。

そして、同棲して1年が経ち、私たちは結婚しました。

新婚生活はとても充実しており、家事にも慣れて少し凝った料理もできるようになっていました。しかし、その頃から夫が好き嫌いが多いことに気づいたのです。

夫は、野菜は基本的には食べられず、魚も嫌いで、肉も好みに偏りがありました。栄養バランスを考えるとどれも不可欠でしたが、そう簡単に好き嫌いは治りませんでした。

その頃から夫との食事が楽しくなくなってきました。食べることが好きな私には、とてもつらいことでした。

少し日が経った頃、大型連休で夫の実家に旅行に出かけました。

マイペースな夫は、飛行機の出発時刻が迫っているにもかかわらず、コンビニに寄り、私が航空会社に「もしかしたら間に合わないかもしれないです」と電話をかけているのを見て、ようやく事の重大さに気づいて急ぎはじめました。

空港に向かう車内で、夫は私の機嫌を取ろうとしてきましたが、こちらはそれどころではありません。航空会社の配慮でどうにか飛行機に乗せてもらえましたが、帰りもまた乗り遅れそうになり、その次に行った旅行でも同じことが起きたのです。

当時旅行会社勤務だった私は、旅行の予約やプランニングなど全て行っていました。何か月も前からプランを練っていたのに、夫に裏切られた気がしました。その時、もう夫とは旅行には行かないと決めました。

趣味の旅行と食事を夫とは共有できなくなり、私たち夫婦の溝は深まっていきました。

いつしか家での会話はほとんどなくなりました。

モラハラ気質の夫は気に入らないことがあると、私の存在を無視しました。1週間、3週間と無視される期間が増え、1ヶ月以上私を無視することが多くなりました。

その頃、夫は当時流行っていた携帯ゲームに毎日没頭しており、数か月が経ったころ、利用した覚えのない高額なクレジットカードの請求が届いたのです。

不正使用されたと思った私は、すぐにカード会社に問い合わせをすると、引き落とし元はゲームの会社でした。私はすぐに夫を問い詰めました。夫は、夫婦で貯めてきた貯金を使って、30万円ほどゲームに課金していたことがわかりました。夫は謝らないどころか、私の管理不足のせいだと言い、もう夫と話し合うことは出来ないと思った私は家を出たのです。

2ヵ月の別居を経て、ついに夫に告げた離婚の意思

家を出てからすぐは、カプセルホテルに泊まり、仕事を掛け持ちして、実家には戻らずその後はマンスリーマンションを借りました。

一人で生きて行ける自信がつくまで、夫とは会えませんでした。

話し合いをしても言いくるめられてしまう。当時の私は少し鬱になっていたかもしれません。

家を出て2ヵ月ほど経過したころ、夫が私の実家に行き、私が2ヵ月帰ってこなくて連絡も取れないことを話しに行ったようです。

両親には何も話していなかったので、心配して電話が何度もかかってきました。両親に今までの経緯や思いを話して、離婚したいと思ってることを伝えると、「自分で決めた道なら応援する。」と言われて心が楽になりました。

そしてついに夫に会って離婚を切り出す事にしました。

夫とは行きつけの個室の居酒屋で会うことになり、夫は離婚を切り出されると思っていなかったのか、ニコニコとしていました。

いつものように話し合いをしているうちに、私が折れると思われているのだろう。そう感じた私は早々に切り出しました。

「ごめん、今日呼んだのは仲直りの話し合いじゃない、離婚したい。」

夫は驚いた後に泣き出しました。予想外の反応だったので、その日はそのまま解散しました。

突然の離婚同意と満開の桜と共に迎えた新たな出発

それから何度か話し合いをしましたが、なかなか納得してもらえません。自分が変わるから最後に一度だけチャンスが欲しい、もう一度だけ帰って来てほしいと言われ、1週間ほど帰ったことがあります。

けれども、人は簡単に変わることはありません。相変わらずテレビのチャンネル権は夫だし、家事は全部私。そしてストレスで体調を崩した私は、自分の家に帰りました。

別居して半年が経ち、弁護士を入れるか悩んでいた頃、突然離婚の同意の連絡がきました。

夫に離婚届を記入してもらうため、元の家に行ったところ、家の中は私が住んでいたころとは全く変わって一人暮らしの男性の家になっていました。

離婚届を記入して、最後に二人で行きつけのカレー屋に行き、たわいもない話をして別れました。

帰りは、車の中で少し泣きながら帰りました。

あとは証人を二人探さなければならない。運よく職場の友人が協力してくれてついに離婚届が完成しました。

そして離婚届を出して、私は晴れてバツイチになりました。

離婚届を出し終えて市役所から出たら、ちょうど桜が満開でとても清々しい景色でした。

あの景色はいまでも忘れない。

離婚を考えている人へ

私は、離婚から3年経ったころ再婚して、現在は一児の母になりました。

離婚をしたいと思っても、結婚した時に祝福してくれた親族、友人の顔が浮かぶと思います。私は子供ができる前の離婚でしたが、お子さんがいらっしゃる方はもっと悩むと思います。

だけど離婚は幸せになるための選択です。決してマイナスな事だけではありません。

そして自分で離婚を選択した女性は、私の周りではみんな幸せになっているので、どうか自分を信じてください。

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